自分への信頼を取り戻せ

南蔵王の小さな町で夫と1歳半の息子の3人で暮らしてます。仕事は炭焼きなどなど。自分への信頼を取り戻すと、楽ーで気持ち良くーてにんまりできます。そんなあれこれをお伝えしていって、誰かがちょっとでも楽になったり、にんまりしたら、嬉しいな。

育児本読みすぎて頭使いすぎたけど、それは、「一生懸命やろうとした」気持ちの表れだったんだ。だから、「よくやったね」とねぎらいたい。

まずー!

わたしは、育児本をとにかく読みまくった。

特に妊娠後期は育児について、それはもう…

ものすごい集中して「予習」してたね。。

 

いいなと思った育児本読んで、あ、これ

いいなと思ったことをかき集めていって、

事前準備しようと思ったんだ。

 

が、ここでもきたね。。意見の違い。。

一見似たような雰囲気の主張のお二人だけど、

細かいところで違う!てのが山ほどあった。

(産後すぐに母乳が十分に出ない場合

ミルクを足してもいいか否か、など)

 

これはとても混乱した。

読めば読むほどどっちが正解かわからなくて、

予習が迷宮入りになっていって。。。

 

結果。予習はほぼ役に立たなかった。

むしろ、今までのやり方がまったく通じなくて、

毎回毎回凹んでた。

 

なんかね、育児って、

「計画して、理想通りに無事遂行するように動いていく」

っていうのとは真逆なんだ。

「計画なんてできませーん。一瞬先どうなるかわかりませーん。

他の人に合っててもわたしらに合うとも限りませーん。

起きたことに向いて、見て、感じて、動いてくしかありませーん。」

っていう。笑 以前からするとハチャメチャすぎるよ。。。

 

 

 

ただ。

ただね。

今はね。

あの時の自分よく頑張ったなと思うよ。心底。

 

まず、わたしは南蔵王の町に移住したばかりだった。

妊娠わかってすぐの移住だったから、

見知らぬ小さな町で、知り合いも

頼れる人もほとんどいない状態だったんだ。

同年代の友達も1人できたかなーてくらいで、

孤独だった。

だから、その中でも自分でできることを

頑張ろうと思ったんだ。

それまでバリバリ働きマンだったから、

頑張り方がそっちの方向にいってしまったってだけ。

育児は真逆の方向だってのは、知らなかっただけ。

 

そして、何よりも、生まれてくる子と

真剣に向き合いたい。大切にしたいって、心底思ってた。

だから、それだけ時間と労力をかけても、

より良くやりたかったんだ。

 

そう、反省することなど何もないのだ!笑

と開き直ってしまおう。

どれもわたしがやりたかったことなんだ。

一生懸命やりたくて、だから必死だったんだ。

できることやろうとしたんだ。だから、それで良かったんだ。

 

自分でやって、痛みも喜びもすべて自分で感じたんだから、

他人の冷静な批評や分析を見て落ち込んで

自分を責めることなんてないのだわ!!わはは!!

現在絶賛育児中。いろいろあったけど、あってよかったと、今なら思える。

わたしただいま絶賛育児中。

息子はただいま1歳半。もう。世界一可愛いね。笑

 

けど、こう思えるまでには

ものすごくいろんなことがあったよ。

もう、現代の育児トラブルと言われるもの一通り

やったんじゃないかしら。。。

マタニティブルー、産後うつ育児ノイローゼ、産後クライシス…

 

こういうのって、なったときとか、そのすぐ後くらいだと

「あぁわたしはなんでこんなに異常なんだろう。

他のママは普通にこなしてるのに。。。

いつもいつも何かしらでくじけて。。。ダメだなぁ」

と思いがちだった。

 

おやおや、書き出してみると笑えるね。笑

ものすごい自己否定感。

他のママはこなしてる?ほんとか?

なんでそれで=ダメになるの??

ツッコミどころが満載だなー( ´艸`)ぷふっ

とりあえず、その時はそう思う心境だったてことで。

 

それがね、ちょっと落ち着いてきた今振り返ると、

あってよかったなーと思うんだ。

あれがあったからああやって動けて、

結果的に今、わたしが望んだ現実になっている。

そんなふうにしみじみ思うことが

ものっすごくいっぱいあるから、少しずつ、少しずつ、

書いていこうと思うんだ。

 

それが、どこかの誰かの涙をちょっとでも癒す風になればいいな。

 

あー!!自分の本音って、これのことだ!

よく「自分を知ろう」とか

「自分の本音に耳を傾ける」

とか言うじゃない?

 

自分探し真っ最中のわたしだから

こういうワードはとにかくよく見た。

 

が、わっかんなかったんだよねぇ。

自分の本音。

え?どれが本音なの?

何それどうやって見つけるの?

こう思うこともあるけど、それが

本音かは、正直自信ない。←!!!

 

出た気づき!

わたしは自分の思いに自信がない。

だから、考えて考えて、より良いもの

を他に求めるんだ。

 

ずーっとずーっと、30年間そんな感じだった。

それがね、息子を宿してからちょっとずつ変わった。

時々なんだけど、

自分の中に、小さくふわって生まれるものがあるの。

 

イメージするなら、たんぽぽの綿毛みたいなものが、

光りながらふわぁって出てくる感じ。

綿毛だから、形がない。

ちょっと風が吹けば飛んで行ってしまう。

なかったことにしやすい。

ぎゅっと握ろうとすると壊れちゃう。

だから、両手の手のひらで周りをゆっくり

包んでやると、そっと触れられる。

その触感を。その雰囲気を。何となくね。

 

そんで、その思った通りに体も動くと、

何だかじんわりあったかくなってくる。

こう、心と体がふわっと融け合ってるような。

 

逆に、「いや、別にいいや」って、

その時しなくちゃいけないことを優先させて

それをなかったことにすると、

何だかだんだん苦しくなってくる。

 

こういうことが何回かあって、

やっと、あ!これが自分の本音てやつなのね!

とやっと、やーっとわかった。

 

これが、

自分への信頼を取り戻した

わたしの最初の出来事だったんだ。

全ての主張に「わたしにはこれが合ってましたが、あなたに合うとは限りません」ていう注釈が欲しいよね

わたしは昔から、いろんな人の考えを知ることが好き。

この人はどう思ってるんだろう?

どんな考えをしてるんだろう?

ああ、この部分いいな、好きだなって

思うものを書き留めたりするのも好き。名言とかね。

 

が。

それをやり続けると、不思議な事態に遭遇する。

ある人は「Aが良かった」

でも別の人は「Aが良くなかった」

 

??????

まじめに、ほんとに大まじめに、

??????

だった。

 

え?どっちが正しいの?どっちが合ってるの?

て、真剣に悩んでた。

(それがいわゆる「自分がなかった」状態なんだろなぁ)

ずーっとずーっと苦しんでたことなんだけど、

最近すぽっと抜けた。

 

それは、

主張はあくまでも「その人が思ったこと感じたこと」

であり、万人に共通することでは決してない

ってわかったから。

 

だから、すべての主張に接するときには、

こういう注釈がついてると思っといた方が楽。

「わたしはこうこうして、楽になりました。

とても合ってました。それがとても自分にとっては

良かったから、世の中に叫びたいと思います。

みんなに勧めたいと思います。

もしかしたら、あなたにも合ってるかもしれません。

あ、でも、もちろんそうじゃない場合もありますよ。

あなたに絶対合うとは限りません。

あしからず。」

ってね☆彡

はじめましてのご挨拶

『自分への信頼を取り戻せ』

とうとう決まりましたよ。ブログタイトル。

 

ずーっとずーっとやりたかったブログ。

何度も始めてはやめ、始めてはやめ・・・

あーわたしってほんと三日坊主で続かないなぁ

と凹んでたんだけど

やっとわかったわ。その理由が。

タイトルがしっくりこなかったんだ!

 

それが今日突然!

1歳半の息子が鼻づまりで寝れなくて

わたしも一緒に起きちゃったときに

ふっと閃いた。

これやーーーーー!!!!て。

 

そう、わたしが言いたいことの全ては

これに帰結する。

「自分への信頼を取り戻すこと」

全部これにつながる。

方法や手段が違うだけ。

 

自分への信頼が取り戻せると、

何てったってすごーい楽です!

気持ち良い!

心と体がふんわり合わさってて

体も喜んでる気がするねん!

 

そんなことを、あれやこれやと

綴っていこうかな。

それを、どこかの誰かが見て、

ちょっとでも楽になったり、

苦しいのが減ったり、

ほっこりにんまりしたら、これ幸い。